病はさらに、私自身にも降りかかる。
「子供のために」と夜中まで働き、部下たちを誘っては一升酒を飲み、ストレスが溜まればハイライトを一日四箱以上も吸い、「スタミナをつけなくては」と朝から肉を食べる・・・高度成長の時代、それが当たり前だったように、私も馬車馬のように働き、遊んだ。
そんな豪壮な生き様が自分にあっていると信じていた。
ある日、言い様のない疲労感が私を襲う。
あわてて受けた検診で、空腹時血糖値が四百以上であることがわかった。当然、即入院を命じられた。
仕事を言い訳に入院を固辞すると、ジメリンという血糖降下剤を処方された。
薬は血糖値を下げた。
だが、これはあくまで薬で下げたのであって、数値そのものはよくなっても病気が治ったわけではない。その証拠に、薬をやめたとたん数値はすぐ戻ってしまう。
よく医者は、糖尿病にかかった人に、「薬は一生飲み続けなければ駄目ですよ」というが、これは薬を飲み続けなければ、数値を正常に保てないからである。
糖尿病を根本から完治させるためには、すい臓からインスリンというホルモンが出て、血糖を調整してくれなければならない。
薬で血糖を無理やりさげても、本質的なものはなにも治っていない。
こうした対症療法の真の恐ろしさは、人間の体を薬漬けの状態にしてしまうことだ。その結果もたらされるのが薬害である。この薬害については、田村豊幸氏の著書『薬は毒だ』(農山漁村文化協会刊)を読むと、ふだん私たちが何気なく用いている風邪薬、胃薬、強壮剤等が、どれだけ人体をむしばみ、副作用をもたらすのかがよくわかる。私は薬害の怖さは、いくら強調しても強調しすぎることはないと思う。
私自身が薬害について身をもって体験しているからだ。
ジメリンという血糖降下剤を一日三錠ずつ飲んでいるうちに、身体に異常が起きてきたのである。
それはまず、身体がどんどん萎縮する症状から始まった。五十肩が両肩に来た状態で、いままで楽に回っていた手が上にあがらなくなり、後にも回らなくなった。そのうち夜になると、全身に痛みがピーツと走る。それは、我慢強い私が飛び起きるほどの痛さだった。
そのとき私が知ったのは、人間というのは、本能的に痛いところを手で撫でているということだった。これは血液の流れ、血行をよくしてやれば、痛みがおさまるということを、無意識のうちに知っているためではないかと思った。
この記憶は、後に「血行改善が病気を治す」という発想の原点になる。
しかし当時の私には、自分で撫でるしか痛みを和らげる方法はなく、何が原因で痛みが生じているかなど知るよしもなかった。